石川梨華の軌跡

weveocean2005-04-30

この番組をみてそーいやー石川梨華さんが近々

引退

するんだったなぁーということを思い出した。

2001年1月のとあるひ私は中学生であり、初めての受験に失敗し、元気を失っていた時この石川さんの笑顔をみて元気になれた。

どおりで私は元気になり、おかげさまでそこそこの高校にも進学ができた。そのとき、モー娘。のファンとりハローのファンともなった。

時代は黄金時代真っ盛りだったのでクラス男子21中19人がモーヲタの時代だから、恥ずかしいことではなかったが、石川さん事態あまり人気はなく安部なつみや後藤真希さらにはロリ系?としては辻加護といった方が有名だった。

しかしながらタンポポにいるときの石川梨華さんは、すごく魅力的であった。

この石川梨華さんだがもう少し解説しておくと、2000年4月16日にモー娘。に合格したのであるが、恋愛レボリューション21まで歌う事はなかった。理由はつんくが声帯を壊してはならないといっているが実際はすごく歌が下手だったのだという。

やがて私は高校へ進学。その直後カントリー娘。に貸し出しという事もあったが、それを立派にこなしオリコン4位まで成長させた立役者であろ。そしてその夏には三人祭というユニットにも参加。しかしこの頃は石川梨華さんにしろ、松浦亜弥さんもまだまだ有名でなく、加護あっての三人祭であった。しかしその後『ザ・ピース』においては、メインで扱っかってもらうことができ、尚且つ同時期に『rika・ishikawa』という写真集が発売されたのだが、私はどちらも購入。さすがに財布は厳しかったものの、一生の宝物となった。そしてこの頃からモー娘。石川梨華というものが世間でも有名になった。

それから次の年後藤真希が引退やキッズ誕生など、ややこしい年を迎えたりするが、石川梨華さんとしては、第三期のたんぽぽで最初で最後の曲である『恋のやじろべぇ』はすばらしかった。また、この年にも写真集が発売されたが、ここでは初めての

水着

疲労、しかしいいことだけではなかった。この年の後藤真希引退におけるフラッシュなどでは嵐の二宮といちゃいちゃしている画像などが流れ、パソコンを破壊するほど頭にきた私は、ハロー自体のファンを辞めようと思ったぐらいだ。また、24時間テレビのドラマにおいては主人公として出演するが、キスシーンを演じるなどで追い討ちをかけられた。

そして2003年。タイガースファンである石川にとってもすごく嬉しい年となったであろう。その2003年はフットサルチーム『ガッタス』に選出されたことが一番であろう。その時では交流戦初ゴールなど素晴らしい活躍を見せていた。本業においても6期メンバーが加わり、より一層引っ張るといったような存在になりより成長を伺わせ、『go girl 恋のビクトリー』でもやはりセンターにおり、一番ハッスルしていたであろう。また藤本美貴というソロにおいて立派な業績を残してきた彼女がいるから、石川梨華は少し見劣りするのではないかという心配はあったが、そんなことはなかった、それどころか、立派なツートップを形成したほどである。

2004年、ハロープロジェクトにおいてキッズからBerryz工房というユニット誕生において、嗣永桃子ちゃんや、徳永千奈美ちゃんなどが尊敬する存在であると私は聞いていかに石川さんが素晴らしいアイドルであ、尊敬されめ存在なんだということが私はぐっと感じた。

しかしその年の夏に、石川梨華引退というニュースが飛び込んできた。

私はぇぇぇぇという感じはしたがまだ先のことなのでフツーに見ていけばいいであろうと感じていた。だが、時は流れるのは早くあっというまに飯田さんが卒業するや否やすぐに引退の時期がきた。

わたしから石川梨華さんに送る言葉として

ハロープロジェクトに入ったときは一体どうなるのだろうと私は思ったほどであったが、数々の試練を乗り越え、これほどまでに立派に成長したメンバーはかつてないであろう。

私の中のアイドルとして、アイドルというものは既に可愛く、そして既に自分が一番可愛いというものが頭になくてはならないというのである。しかしこの石川さんはいづれも完璧にできており、これがあるかないかは、今後アイドルとして成長するかどうかにあると私は思う。

そして今回の卒業は今までのアイドル石川梨華をより一層磨き上げ、立派に輝かせるためのものであるのあろう。

それならば是非歴史に名前を残すアイドルとなっていただきたいと願っている。

本当に今まで感動ありがとう。そして、

卒業おめでとう!!!!!



そしてまた明日、7期オーディションで合格者が決まるのだが、是非とも石川梨華ちゃんのような立派なこがでできてほしいものである。